杉沢はりきゅう院健康美人院長の松井諒です!
わたしは鍼灸マッサージ師の国家資格を取得していますが、それとは別にスポーツトレーナーの資格として日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナー(JSPO-AT)の資格を持っています。アスレテックトレーナーというのは主に選手はもちろん監督やコーチ、医師や理学療法士、サポーターの方々と連携していきコンディショニングやトレーニングでスポーツ選手をサポーツする仕事です。スポーツ外傷の予防やリハビリからスポーツ現場の救急処置、トレーニングの検査測定、栄養指導、ドーピング指導、健康管理から組織運営まで幅広い役割を持ちます。そんなスポーツトレーナーになった経緯について今回はお話しさせていただきます。
スポーツトレーナーになるきっかけ
スポーツについては小学生の頃から陸上、水泳、野球、クロスカントリースキー、キックボクシング、トライアスロン、スパルタンレースなど多岐にわたり経験してきました。そんなわたしですが鍼灸マッサージ師、スポーツトレーナーになったきっかけでもあるのですが、怪我や故障が絶えませんでした。
なにかと持病である腰痛症、膝関節症が発症したり不意に捻挫、突き指をすることはしょっちゅう(笑)酷いと骨折したり転倒して意識を失ったり、脱水症状、熱中症になったりしたこともしばしば・・・
そんな中で怪我や故障をしてはやくスポーツ復帰したかったのでリハビリやストレッチについて本を買って勉強しました。その方法もあってるんだかどうなんだかわからないケアをして痛くなくなればスポーツ復帰して、また痛くなってを繰り返す日々を過ごしていました。
そこで思ったのは、
ケアをやってる気になっているけれど実は無駄なことをしているんじゃないか?
誰にこのことを聞けばいいんだろう?
正解は?
競技復帰に向けたいちばんの近道ってなんなんだろう?
ということでした。
スポーツトレーナーになるために
そんなことがきっかけでスポーツのケアの道に進むこととなりました。
高校を卒業してからは神奈川県の専門学校に進学し学生中から社会人アメリカンフットボールチーム富士ゼロックスミネルヴァAFCの学生トレーナーをやったり大学、高校の野球部、陸上部の生徒のトレーニング、リハビリ指導をしたり、湘南国際マラソンの大会のケアブースの手伝いに行ったりして経験を積んで行きました。
卒業してからはプロゴルファー選手、プロ野球選手、社会人陸上選手、社会人大学野球チーム、芸能関係の方々などとご縁がありスポーツトレーナーとしての生活が始まりました。(※プライバシーの関係で名前は控えさせていただきます。)
しかし、わからないことばかりでどう頑張ってもよくならない、実力不足を痛感しうなだれる日々が続きます。「資格があるから食っていける」そんな甘い世界ではありませんでした。そして選手である彼、彼女たちはその試合、その大会でのタイム、順位、勝利でその先の人生が大きく変わっていくのです。その最前線で戦っている選手たちを目の前にするととてもではありませんが手は抜けず、応援したい!頑張って少しでも成績を上げてあげるサポートをしたいと思って過ごしていたのはいまでも昨日のことのように思い出します。
そんな中、これもご縁で母校の専門学校の先生から誘われ横浜国際プールはりきゅうマッサージ室でも働かせていただく機会を頂きました。そこではスポーツ選手から社会人のスポーツ愛好家の方々、会社員、農家の方々まで様々な方の施術をさせていただき、紹介してくださった尊敬する室長の内田先生(元ミスター神奈川ボディビル選手権 70キロ級優勝)、専門学校の優秀な先輩、後輩の先生方のもとで1年未満ではありますが学べたことは貴重な経験でした。いままで悩んでいたトレーニング方法やリハビリのプログラム、施術内容にも良い変化が生まれ、なかなか超えられなかった壁がブレイクスルーしたように、ここでの経験でトレーニングやケアにも大きな変化が生じました。大変感謝しております。
スポーツは奥が深い!
このような教科書的な基礎知識で仕入れた情報をスポーツ現場でトライ&エラーして取捨選択し、メンターとなるような師匠の先生方にも恵まれ自分の中で確立していったスポーツケア、リハビリに関しての経験を積むことはできました。
杉沢はりきゅう院健康美人ではいままで培ってきた知識経験だけでなく、新しい最新のスポーツ情報を取り入れながらスポーツ障害、怪我、トレーニングに関して取り組んでおります!またこのブログでも関東圏で培ってきた経験を生かしてみなさまにわかりやすく最先端の健康情報、スポーツトピックをお話しできたらと思います!
ご一読ありがとうございました。シェア、いいねなどなどよろしくお願いいたします。