子供のためにしていることは、本当に子供のためなのか
子供のためにと思って、親がしていることはたくさんあります。
健康に育ってほしい。病気にならないでほしい。勉強ができるようになってほしい。スポーツが上手になってほしい。将来、困らないようにしてあげたい。
どれも親として自然な気持ちだと思います。
しかし、少し立ち止まって考えてみると、それは本当に子供のためになっているのでしょうか。
良かれと思ってしていることが、いつの間にか親の不安を解消するためになっていたり、自分が受けてきた教育や価値観を、そのまま子供に当てはめていたりすることもあるのではないでしょうか。
私は子どもを3人を持つ親として、鍼灸師として、これまで多くの方の身体を診てきました。大人だけでなく、幼い子供から学生まで、さまざまな年齢の子供たちとも接してきました。
その中で、身体のことだけではなく、子供の成長や親子関係、教育、そして人が生きていくということについて考える機会も多くありました。
今回は、そうした経験の中で感じていることを書いてみたいと思います。
もちろん、私自身もまだまだ勉強中です。これが正解だと思っているわけではありません。今のところ見えているものを、一度言葉にしてみようと思います。
子供の小さな変化に気づいていますか?
子供は、自分の身体の不調や気持ちを、いつも上手に言葉で伝えられるわけではありません。
特に幼い子供の場合、何となく機嫌が悪い、夜なかなか眠らない、泣き止まない、癇癪を起こす、おもらしが続く、肌が荒れているといった形で、普段とは違う様子が表れることがあります。
言葉を話し始めるのがゆっくりだったり、何となく元気がなかったりすることもあるでしょう。
もちろん、こうした様子にはそれぞれ理由があり、必ずしも身体の不調が原因とは限りません。成長の過程で自然に変化していくものもあります。
ただ、親御さんには、少し「あれ?」と思ったときに、そのままにせず気にかけてほしいと思います。
気になることがあれば、小児科や専門の相談先に相談する。身体のケアについては、鍼灸院という選択肢もあります。
関西では、昔から子供に鍼をする小児鍼が比較的身近な地域もあります。夜泣きや癇癪、おねしょなどをきっかけに、子供を鍼灸院へ連れていく習慣があるところもあります。
一方、関東や東北、北海道などでは、幼い子供を鍼灸院へ連れていくという考え方が、まだあまり一般的ではない地域もあるように感じます。
私は、病気になってから医療機関に行くことだけでなく、普段の健康状態や身体の様子を見てもらう場所として、鍼灸院が身近にあってもよいと思っています。
ただし、発達の遅れや強いアレルギー症状、喘息など、医療機関での診察や治療が必要なものもあります。鍼灸はそれらの診断や治療に代わるものではありません。必要な医療を受けながら、身体のケアの一つとして考えていただければと思います。
子供の身体は、年齢によって変わっていく
子供の身体は、成長とともに大きく変化します。
幼児、小学生、中学生、高校生では、身体の状態も、生活環境も、抱える悩みも違います。
幼児期
幼い子供の場合、夜泣きや寝つきの悪さ、おもらし、癇癪、肌の状態などについて相談を受けることがあります。
この時期は、まだ自分の身体の状態をうまく説明できません。そのため、親御さんから普段の生活や様子を聞くことがとても大切になります。
施術では、子供の雰囲気や肌目をよく見ます。
髪や目の状態、顔色、お腹、体温、人相、姿勢、身体の反応や何気ない仕草などです。
子供は特に、全体の雰囲気から、その子が持っている生命力のようなものを感じ取りやすいように思います。
これは何か一つの数値で測れるものではありません。長く身体を診てきた中で身についた、私自身の臨床上の感覚です。
小さな子供には、刺さない鍼である「てい鍼」という伝統的な方法を使うことがあります。子供の様子や年齢、受け入れ方に応じて、施術方法を考えます。
小学生くらいになると、鍼を受け入れられる子供も増えてきます。初めての子供は「痛くない?」と不安そうに聞いてきますが、終わってみると「思ったより痛くなかった」と驚くこともあります。
以前、中学生の子が足を引きずるようにして来院したことがありました。アキレス腱や足に痛みがあったのですが、帰る頃には問題なく跳んでみせてくれました。
本人も驚いていて、まるで魔法のようだと言っていたのを覚えています。
もちろん、これは一つの経験であり、どんな痛みでも同じように改善するということではありません。痛みや怪我の状態によっては、医療機関での検査や治療が必要です。
小学生
小学生になると、身体が大きくなり、運動する機会も増えてきます。
走っているときの足の痛み、成長期の身体の痛み、突き指、捻挫、筋肉や関節のトラブルなど、スポーツに関係する相談も増えてきます。
この時期は、身体の成長と運動能力の発達が必ずしも同じ速度で進むわけではありません。
本人は一生懸命に動いていても、身体の使い方や筋力がまだ追いついていないことがあります。
また、スポーツによって身体にかかる負担も違います。
最近では、スマートフォンやタブレット端末、ゲームなどを使う時間も増えています。長時間同じ姿勢で過ごすことで、首や肩、背中に負担がかかることもあります。
親御さんからは、以前より走っていても痛そうにしなくなった、顔つきが変わったように感じる、といった話を聞くこともあります。
中学生
中学生になると、身長や筋力が大きく変化し、スポーツの内容も少しずつ本格的になってきます。
部活動などで練習量が増え、身体にかかる負担も大きくなります。
野球肘や腰の痛み、すねの痛みなど、競技特有の身体のトラブルも出てきます。
身体が成長している時期だからこそ、本人の感覚だけで無理を続けず、身体の状態を確認することが大切です。
高校生
高校生になると、さらに身体が成長し、競技レベルも高くなっていきます。
強い力を出せるようになる一方で、練習や試合で身体にかかる負担も大きくなります。
骨折や捻挫、靭帯の損傷など、競技を続けるうえで大きな問題になる怪我もあります。
この年代になると、自分の身体の状態を言葉にして伝えられるようになり、自分でケアを考える子も増えてきます。
実際に、以前は自分からストレッチなどをしていなかった子が、怪我をしないように自分からストレッチをするようになることもあります。
まだまだ身体は硬いですけどね笑
それでも、自分の身体に関心を持ち、自分で考えて行動するようになったことは、大きな変化だと思います。
身体が整うと、自分から動きだす
施術を続けていると、親御さんや本人から、さまざまな話を聞くことがあります。
幼い子供であれば、性格が柔らかくなった、おもらしが少なくなった、夜に眠るようになった、といった話です。
小学生くらいになると、走っていても痛そうにしなくなった、以前より顔つきが変わったように感じる、といった話があります。
中学生や高校生になると、怪我をしないように自分からストレッチを始めたり、身体のケアを意識するようになったりします。
また、気持ちの切り替えや決断力、行動力がついてきたように見えることもあります。
もちろん、こうした変化がすべて鍼灸によって起こると断言することはできません。成長や生活環境、本人の経験など、さまざまな要素が関係していると思います。
ただ、私自身は、身体の状態と心の状態は切り離せるものではないと考えています。
身体の緊張や不調が和らぐことで、気持ちに余裕が生まれ、自分から何かに取り組むきっかけになることもあるでしょう。
身体が本来の状態に近づいていくことで、その人が持っている力を発揮しやすくなる。
私は、それが自然な流れなのではないかと感じています。
もう少し大きな視点で考えると、人にはそれぞれの役割や役目があり、自分の人生を歩んでいく力が備わっているのではないかと思います。
潜在意識という言葉で表現することもできますし、私自身は、宇宙のエネルギーという考え方にもつながるように感じています。
ただ、身体を整えるということは、単に痛みを取ることだけではなく、その人が自分らしく生きていくための土台を整えることでもあるのではないかと思っています。
子供を守ることと、子供の人生を代わりに生きることは違う
ここからは、少し身体の話から離れます。
親は子供を大切に思うものです。
できるだけ苦労をさせたくない。失敗させたくない。危険な目に遭わせたくない。将来困らないようにしてあげたい。
その気持ちはよく分かります。
しかし、親が先回りして、子供が転ばないようにすべてを整えてしまったら、その子は自分で転んで起き上がる経験をどれだけできるのでしょうか。
親がいない場所で大きく転んだとき、どうやって立ち直ればよいのでしょうか。
私は、子供には失敗する機会も必要だと思っています。
アドラー心理学には「課題の分離」という考え方があります。
最終的に誰がその行動を選び、その結果を引き受けるのか。それを考えることで、自分の課題と他人の課題を分けていくという考え方です。
親子であっても、夫婦であっても、相手は自分自身でも、自分の所有物でもありません。
親がどれだけ考え、悩み、心配したとしても、最終的に行動するのは本人です。
親が子供を大切に思うことは、とても尊いことです。
だからこそ、子供の人生を代わりに歩こうとするのではなく、子供が自分で歩こうとするときに支え、味方でいてあげてほしいと思います。
何かに挑戦しようとするとき、子供は自信があるから挑戦するとは限りません。
やったことがないから自信がない。失敗するかもしれない。怖い。
それでも一歩踏み出そうとしているのです。
そんなときに、背中をそっと押してあげること。
それも親の大切な役割なのではないでしょうか。
もちろん、危険から守ることや、必要なときに止めることも大切です。何でも自由にさせればよいという話ではありません。
大切なのは、子供が自分で考え、選び、経験する機会まで奪わないことだと思います。
失敗することも、人生の経験になる
成功している人を見ると、その人が最初から何でもできたように見えることがあります。
しかし、その裏には数え切れないほどの失敗や試行錯誤があるはずです。
本人にとっては、それは失敗ではなく、成功に向かうための道のりだったのかもしれません。
壁があったとき、100回叩いても壊れなかった。
そこで諦めるのか、それとももう一度叩いてみるのか。
もしかすると、101回目で壊れるかもしれません。
もちろん、何でも我慢して続ければよいわけではありません。やり方を変えたり、別の道を選んだりすることも必要です。
それでも、困難にぶつかったときに、すぐに諦めたり、周囲の環境だけを変えようとしたりするのではなく、自分にできることはないかと考える姿勢は大切だと思います。
仕事が合わなければ辞める。人間関係が嫌になれば離れる。今の場所が自分に合わないと思えば、別の場所を探す。
それ自体が悪いわけではありません。離れた方がよい環境もあります。
ただ、場所や相手を変えるだけでは解決しない問題もあります。
自分の物事の見方、考え方の癖、他人への期待、問題に向き合う姿勢。
そうした自分自身の内側にあるものを見つめなければ、同じような問題に何度も出会うこともあるのではないでしょうか。
私は、人生にはその人自身が向き合わなければならない課題があると考えています。
目の前に起きた出来事をどのように受け止め、どう考え、どのように行動するのか。
同じ出来事であっても、見る角度や受け止め方、選択によって、その後の人生は変わっていきます。
偶然ではなく必然として受け止めることも、私自身の人生観の一つです。
そして、逃げずに向き合い、自分なりの答えを見つけていくことが、人生の修練なのではないかと思っています。
親の時代と、今の子供たちの時代
もう一つ、親御さんに考えてほしいことがあります。
それは、自分が受けてきた教育や価値観を、そのまま今の子供に当てはめていないかということです。
昔の教育には、今でも大切にしたいものがたくさんあります。
礼儀や挨拶、感謝すること、年長者を敬うこと、人との約束を守ること。
日本には、長い時間をかけて受け継がれてきた文化や考え方があります。
私自身、そうしたものから学ぶことは多いと思っています。
一方で、時代は変わっています。
食生活も大きく変わりました。スマートフォンやゲーム、SNS、タブレット端末、AIなど、親の世代にはなかったものが、今の子供たちにとっては当たり前になっています。
例えば、昔はそろばん教室に通う子供が多くいました。
私自身はそろばん教室に通っていませんでしたが、まわりの友達は通っていて暗算が早かったと記憶しています。平成中期の、あの頃あたりまではそろばんを習うことが計算力を身につける一つの方法でした。
今では電卓やスマートフォン、パソコンなどがあり、計算そのものは機械が非常に得意とする分野になっています。
もちろん、数字の概念や計算の仕組みを理解することは今でも大切です。しかし、何をどこまで身につけるべきなのかは、時代に合わせて考える必要があるのかもしれません。
これは英語やプログラミングなど、今の子供たちが学んでいることにも通じると思います。
昔の教育がすべて間違っているわけではありませんし、今の教育がすべて正しいわけでもありません。
昔から受け継ぐものと、今の時代に合わせて変えていくもの。
その両方を考えながら、親御さん自身が子供に合った教育やしつけを考えていく必要があるのではないでしょうか。
渋沢栄一の『論語と算盤』という有名な書物があります。
論語には、人としてのあり方や礼儀、道徳など、今でも学ぶべきことが多くあります。
ただ、どれほど優れた思想や哲学であっても、時代や環境によって解釈を考え直す必要はあると思います。
大切なのは、昔のものをそのまま守ることでも、新しいものを何でも取り入れることでもありません。
自分で考え、必要なものを選び、次の世代に伝えていくことなのだと思います。
健康のために、何でも取り除けばよいのでしょうか
健康についても、少し考えてみたいことがあります。
今は除菌や殺菌、清潔さがとても重視されています。
もちろん、感染症を防ぐための手洗いや衛生管理は大切です。特に免疫機能が低下している方や、感染症のリスクが高い状況では、適切な感染対策が必要になります。
ただ、菌やウイルスをすべて排除することだけが健康につながるわけではありません。
私たちの身体には、腸内細菌や皮膚の常在菌など、多くの微生物が共存しています。
人間は、周囲の環境と関わりながら生きています。
何でもかんでも取り除くことだけを考えるのではなく、身体が本来持っている防御機能を保ち、環境と適切に関わっていくことも大切なのではないでしょうか。
食事についても同じです。
身体によいとされる食品や栄養素であっても、一つのものに偏るのではなく、年齢や身体の状態に合わせて、さまざまなものをバランスよく食べることが基本だと思います。
良かれと思って与えているものが、必ずしもその子に合っているとは限りません。
食物アレルギーなどは、単純に栄養の与えすぎや衛生環境だけで説明できるものではありません。原因や仕組みは複雑で、必要に応じて医療機関で適切に対応する必要があります。
健康に関する情報が多い時代だからこそ、何を取り入れるかだけでなく、何を必要以上に心配しないかということも考えてよいのではないでしょうか。
子供に残せるものは何でしょうか
親が子供に残せるものは何でしょうか。
お金や財産、家や土地、知識や技術。
今の世の中では、経済的なものを残すことが大切だと考える方も多いと思います。
もちろん、お金は生活を支えるうえで必要です。
しかし、私が子供に残せるものとして大切だと思うのは、思い出です。
その思い出の中には、文化が詰まっています。
家族で食事をしたこと、季節の行事、祖父母との会話、地域のお祭り、誰かにかけてもらった言葉。
そうした何気ない日常の積み重ねが、その人の中に残っていくのだと思います。
忘れない思い出
私自身、今でも忘れられない思い出があります。
小さい頃、私はひいおばあちゃんにたくさんミルクを作って飲ませてもらっていました。そのおかげもあってか、子供の頃はぷくぷくと太っていました。
小学校でも身体は大きく、お腹も二段腹、三段腹でした。
小学校3年生か4年生の頃、3キロほどのマラソン大会がありました。
私は走ることが苦手で、その大会がとても嫌でした。
案の定、走るのが速い子たちはどんどん折り返しから戻っていきます。
それでも、私はビリになるのが嫌で、足を止めず、一生懸命に走りました。
そして、最後の最後。ようやく小学校に戻ってきたときです。
そこに祖母がいて、声を張り上げて応援してくれました。
「りょうくーん頑張れー!」
今でも、その光景をはっきりと思い出すことができます。
思い出すと、今でも涙が出てきます。
おかげで、順位は下から3番目くらいでした。
それでも、ゴールしてすぐに祖母のところへ行きました。
「ビリじゃなかったよ!」
そう笑顔で報告しに行ったことを、今でも覚えています。
今になって考えると、あのとき祖母がしてくれたことは、特別な教育でも、立派な指導でもありません。
ただ、応援してくれただけです。
でも、その一言が今でも私の中に残っています。
これが愛情というものなのではないでしょうか。
愛情は、必ずしも立派な言葉や大きな出来事で伝わるものではありません。
誰かが自分を応援してくれたこと。頑張りを認めてくれたこと。失敗しても見放さずにいてくれたこと。
そうした経験が、その人の中に残っていくのだと思います。
そして大人になったとき、今度は自分が誰かの背中を押す側になる。
年配の人は若い人の背中を押し、勇気を与える。若い人は、その勇気を受け取り、自分の持っている力を全力で行動に移していく。
私は、本来そういうものなのではないかと思います。
こうした思い出の積み重ねが、その人を作っていくのではないでしょうか。
礼儀や作法、人との接し方、物事への向き合い方も、日々の生活や人との関わりの中で自然と身についていくものだと思います。
反対に、恐怖や憎しみ、暴力の中で育った人が、その経験を次の世代に繰り返してしまうこともあります。
もちろん、育った環境だけで、その人の将来が決まるわけではありません。自分の経験を振り返り、そこから違う生き方を選ぶこともできます。
だからこそ、愛情というものは、外にあるものを探すだけではなく、自分自身が誰かに与えていくものでもあると思うのです。
未来を育てるということ
私は、子供を育てるということは、未来を育てることなのだと思っています。
愛を注げば、愛に満ちた未来へ。
恐怖や憎しみを注げば、恐怖や憎しみが繰り返される未来へ。
少し大きな表現かもしれませんが、親から子へ、子から孫へと受け継がれていくものは、遺伝だけではありません。
文化や価値観、考え方、習慣、そして人との関わり方も受け継がれていきます。
特に日本には、素晴らしい文化がたくさんあります。
礼儀や作法、季節を大切にする心、自然との関わり、先祖を敬う気持ち、人を思いやること。
そうしたものを文化として次の世代に伝えていくことも、今の時代を生きている私たちの役割なのではないでしょうか。
それぞれの国や地域には、それぞれの歴史や文化があります。
自分たちが受け継いできたものを大切にしながら、次の世代へつないでいく。
そして、その時代を生きる人たちが、新しいものを加え、また次の時代へ渡していく。
そうやって文化も、人間も、未来へと続いていくのだと思います。
私自身、武士道や論語、禅など、昔から伝わる書物や思想に関心があります。
そこには、今でも考えさせられることがたくさんあります。
ただ、昔の教えをそのまま守ればよいというわけでもないと思います。
時代が変われば、解釈も変わるでしょう。
大切なのは、何を受け継ぎ、何を変え、何を次の世代に伝えていくのかを、自分自身で考えることなのだと思います。
そして、子供に何かを伝えるときには、言葉だけではなく、自分自身がどう生きているかということも大切になるのでしょう。
私自身も、まだ答えを探している途中です
ここまでいろいろと書いてきましたが、私自身、これが正解だと思っているわけではありません。
子供の身体を診て、親御さんと話をし、さまざまな人と出会う中で、少しずつ見えてきたものがあります。
しかし、まだまだ分からないことも多くあります。
人にはそれぞれの人生があり、それぞれの考え方や性格、置かれた環境があります。
同じように育てても、同じように成長するわけではありません。
だからこそ、何でも一つの答えに当てはめることはできないのだと思います。
親が子供を大切にすること。
子供の身体や心の変化に気づいてあげること。
必要なときには専門家の力を借りること。
そして、子供が自分で考え、挑戦し、失敗し、成長していく姿を見守ること。
親がすべてを抱え込む必要はありません。
身体のことは身体の専門家に、スポーツのことは指導者に、学業のことは学校や塾の先生に相談することもできます。
そのうえで、親として子供の味方であり、心の支えでいてあげる。
子供にとって、親は何にも代えがたい存在です。
決して見放さず、愛情を持って接してほしいと思います。
私自身も、これからさらに経験を重ね、学び、考えながら、自分なりの答えを探していきたいと思っています。
子供を育てるということは、未来を育てるということ。
そして、その未来は、今を生きている私たち一人ひとりの行動や、何気ない日々の思い出の積み重ねによって作られていくのではないでしょうか。
「マッサージを受けたいのですが、初めてです。予約できますか?」
LINEでは、この一言をお送りください。
希望する日時があれば、それも一緒に送っていただければと思います。
よろしくお願いいたします。