大地雪満々。白いから白いのだ。
以前、曹洞宗大本山永平寺の第78世貫首、宮崎奕保(みやざき えきほ)禅師のお話の中で、このような問答を聞きました。
弟子には、年に一度だけ師匠に質問できる機会がありました。
その機会に弟子が尋ねたのは、
「雪はなぜ白いのでしょうか?」
という質問でした。
それに対する師匠の答えが、
「大地雪満々。」
「白いから白いのだ。」
というものだったそうです。
曹洞宗大本山永平寺何ともあっさりした答えですが、私はこの言葉を聞いて、しばらく考えさせられました。
そこにあるものは、あるからある。
私なりの解釈ですが、あらゆるものは、そこにあるものとして、さまざまな条件が重なった結果、今の形をとっている。
そして、それをそのまま素直に受け止めることだ。
例えば、私たちの目の前に一台の車があるとします。
その車を作るためには、金属が必要です。燃料が必要です。部品を作る人がいて、組み立てる人がいて、運ぶ人がいて、販売する人がいて、実際に乗る人がいます。
一つ一つを見れば、別々の出来事に見えるかもしれません。
しかし、それらが重なり合って、今、自分の目の前に一台の車がある。
そう考えると、目の前にあるものは、決して単独で存在しているわけではありません。
たくさんの条件や出来事が重なり、今の姿になっているのだと思います。
私たち自身も同じです。
自分が生まれてきたこと、今ここで生活していることも、数え切れないほどの奇跡的な出来事やつながりの中にあります。
何気ない日常も、偶然の一言で片付けてしまうには、あまりにも多くのものが関わっているのかもしれません。
そう考えると、今あるものに対して、自然と感謝の気持ちが湧いてきます。
横手の大地に降り積もる雪
秋田県横手市は、冬になると雪が大地を覆い尽くす地域です。
私たちにとっては、毎年いやでも目にする、とてもなじみのある景色です。
しかし、その雪を小さく、小さく見ていくと、そこには一つ一つの雪の結晶があります。
その元となる水は、海や地表から蒸発し、水蒸気となって空へ上がります。やがて雲となり、気温などの条件が整うことで雪となって地上に降りてきます。
そして冬になり、秋田の大地に降り積もる。
雪解け水は川となり、土に染み込み、植物や動物の命を支えていきます。
また水は蒸発し、雲となり、雨や雪となって地上に戻ってくる。
こうした自然の循環の中で、私たちも生きています。
一つの雪を眺めているだけでも、海や空、太陽、地球、そして長い生命の営みにつながっているのです。
そう考えると、何気なく見ている雪景色も、少し違って見えてきませんか。
どう受け止めるかは、自分次第
雪はなぜ白いのか。
科学的に見れば、雪の結晶に光が当たり、光がさまざまな方向に散乱することで白く見えます。
自然の循環という視点から見ることもできますし、そこに哲学的な意味を見いだすこともできます。
もちろん、ただ雪は白いものだと受け止めてもいいのだと思います。
同じ景色を見ていても、何を感じるか、どう考えるかは人それぞれです。
「大地雪満々。白いから白いのだ。」
この言葉も、何度も自分の中で咀嚼していくことで、その時々に違った解釈が生まれるのかもしれません。
皆さんは、この言葉をどのように受け止めますか?